春の雪
三島由紀夫「豊饒の海」4部作の1巻目を、初の映画化。行定勲監督の下、妻夫木聡、竹内結子という魅力的な共演が実現した。大正初期を舞台に、栄華を誇る侯爵家の若き子息、松枝清顕と、没落の気配を見せ始めた伯爵家の令嬢、綾倉聡子の悲恋を描く。宮家の王子から求婚を受けた聡子が、それでも清顕と関係を持ってしまい、取り返しのつかない運命をたどることになる。
大正の貴族社会を再現した美術に息をのむばかり。『花様年華』などの名カメラマン、リー・ピンビンによる、ゆるやかなカメラの動きも美しい。主演ふたりは、いかにも現代的なイメージだが、格調高いセリフを自分のものにし、独特の貴族社会に溶け込んでいる。クライマックスの妻夫木の演技は鬼気迫るものがあり、岸田今日子ら助演陣も秀逸。この映画版は、誰かを一途に愛すること、そして愛のために身を引くことの辛さを、時代を超えて現代のわれわれに訴える力を持ち得た。「豊饒の海」全体の主人公であり、清顕の親友である高岡の視点から観ると、また違った三島由紀夫のテーマがにじみ出てくる点もすばらしい。(斉藤博昭)
余韻が残る |
原作にかなり忠実であった。
映像、音楽、役者の演技のバランスが取れている。
行定監督の淡々と(突き放)した演出が綺麗な風景と
そこで苦悩する人間の姿の対比をより引きたてていて、
見終わった後に余韻が残る。
押し付けのある説明的な映画ではないので、見た人によって
いろいろ受け取り方のできる映画なのではないかと思う。
主演二人の演技は予想以上。
妻夫木は攻めの演技、竹内は受けの演技であったがうまくかみ合っていた。
脱ぐ脱がないは大きな問題ではない。脱げば役者根性がある、というのも違うだろう。
妻夫木は子供から禁断の愛を経て大人になっていく様をしっかり演じていたし、
竹内の繊細な表情は見事、であった。
個性的な懐かしいメンバーが次々と。 |
ご存知三島作品の映画化。
三島文学を意識していながら三島に迫りきれていない。
全てが中途半端。
昇華された愛の異常性に入りきれない部分がある。
竹内も妻夫木も消化不良の感。
豪華ななつかしいメンバーが次々出てくるけど、
真野響子・岸田今日子・大楠道代・山本圭・高畑淳子そして若尾文子。
さらに田口トモロウ・石丸謙二郎・引越しやのおじさんまで。
でもでも、
カメラもワンパターン。
息のむはずのシーンで同じカメラ回し。
あれはないぜ。
行定監督には申し訳無いけど何か足りない。意図する事が伝わらない。
これだけ長時間かけているのに描ききれていない。
映画としては新人監督の『いま会い』の方がはるかに良かったし面白かったなあ。
というところで気が付いた。
やっぱり、この映画では竹内さんに脱いでもらわないとおさまらなかったような気がする。
純愛故に脱いでもらわないと・・・。
新婚の彼女が無理なら、
脱げる女優さんを引っ張ってこないと。
それくらいの意気込みが監督さんに欠けていたのでは。
『いま会い』は脱ぐ必要はなかったけど。『春の雪』は脱がないと・・・。
何か足りないと感じたのはそのへんかも・・・。
三島文学に迫る為には鬼気迫る決心が役者にも必要だったような気がする。
その辺で見る者にイマイチ感動が伝わらない。
ちょっと脱ぐことにこだわりすぎ?
なんで? |
予告編を見てても不愉快。なんでウタダヒカルの歌なんでしょうか?映像にもそぐわないし、日本映画のこういう傾向、もう台無し。