『もののけ姫』の秘密―遙かなる縄文の風景
もののけ姫を観てスッキリしなかった人は読んでほしいな |
日常では気にしなくなっている、自分の生まれ育った地方の歴史や地方アイデンティティを改めて振り返ってみようかと思った一冊だった。きちんと自然保護や地方の自立を考えようとするなら、著者の姿勢は当然であると思う。たとえ、ファンタジー作品に史実はこうじゃ!なっちょらん!と立ち向かうのがドン=キホーテ的愚行と映ろうとも、自然保護運動、住民運動にかかわり、エミシの末裔を名乗る著者の立場じゃ、エミシが宮崎ファンに誤解されちゃたまらん、という強い思いがあったのだろう。映画が大ヒットすればなおさらだ。私も、映画を見てスッキリしなかったがそれはテーマの重さのみではなかったと本書を読んで思うようになった。著者は宮崎監督が「何かの圧力に屈して」映画のラストをこのようにし!たのでは?と結んでいる。実際この映画のために監督はひどい腱鞘炎にもかかったし、自然破壊について人間に絶望しているようだった。「私はもう映画は作らない」とまで明言した。かなり苦悩したらしい。(なのに千と千尋つくっちゃったけど)大手資本が関わって制作し、配給する映画なんだからその手の「圧力」は避けられないこととは思う。著者が各所で監督をねぎらっているのはそれも含んでのことなのだろう。
ただ、著者に不言を呈するなら、批判のきちんとした根拠を示して欲しいと言うこと。それが乏しいため、学術的な説得力には乏しいと思う。
ちょっと姿勢を間違えてない?? |
「この作品に描かれていることを史実に照らし合わせて細部を検討することは、あまり意味がないだろう」という他の識者の見解にも納得せず、「もののけ姫」という映画およびこれに関する宮崎監督の各種の発言に対して批判論を展開しようとしたのが本書である。物語ではアシタカはエミシの末裔ということになっているが、著者にもまたエミシの血が流れているとのことで、宮崎監督の描くエミシ像に納得がいかなかったようだ。「たとえフィクションであっても、史実をまったく無視したり、極端にねじ曲げたりすることはできない」というのが著者の主張である。著者は登場人物の身体的特徴、衣装、装備、言語、言動などの些細な点のみならず舞台設定やストーリー展開にも批判を加えている。著者はエミシをはじめとする民俗学的な知識もあり、自然保護運動の経験もあるとのことで、「もののけ姫」はひとつの作品として素直に受け止め、これを起点にして著者の知識や経験に基づく新たな解説を読者に展開すれば価値のある著作になっただろうが、全体的に「言いがかり」をつけている感が拭えない。著者自身は「いくつものハンディキャップを背負って」おり、また「屈折した人生を歩んで」来たと書いているが、これに対してはエボシ御前の次の台詞を返したい。「さかしらに、わずかな不運を見せびらかすな」と。